僕がナポリのマリネッラを愛してやまない理由 Vol.1/4
Oct 06, 2023
Afterhoursにて連載の 藤田雄宏氏によるマリネッラ特集記事を4週連続でお届けいたします。
3年半ぶりのナポリ。とある人の話を聞くべく朝5時30分にマリネッラを訪ねた
マリネッラの3代目、マウリッツィオ・マリネッラ氏。毎朝6時過ぎに出勤し、6時30分に店を開ける。
最もナポリらしいブランドって何だろう、とふと考えた。
ルビナッチやパニーコなどのどんなに超一流のサルトリアだって、
あるいはアットリーニ、キートン、イザイアだって、
一般的なナポリ人のあいだでは、実はほとんど知られていない。
アンナ・マトゥオッツォ、ボレッリやバルバにしたって同じだ。
しかし、である。マリネッラだけは老若男女すべてのナポリ人に知られている。
そして、ナポリにおいては極めて奇妙なことなのだが、誰もに愛されている。
例えば、グラン・カフェ・ガンブリヌスや、ピッツェリア ダ ミケーレのように。
例えば、ガッレリア・ウンベルト1世やサン・カルロ劇場、そして卵城のように。
眼前にナポリ湾が広がり、ナポリで最も美しい広場と謳われる
ピアッツァ・ヴィットーリアの一角、リヴィエラ ディ キアイア287番地に
1914年6月26日にオープンしたマリネッラは、
常にナポリの街に、ナポリの人々に寄り添い、
ナポリ人に愛され、イタリア人に愛され、そして世界中の人に愛される店となるまで、
今日まで109年もの歴史をゆっくりゆっくり紡いできたのだ。
そう、僕が “ 最もナポリらしい” と思うマリネッラについて、
4週連続の連載形式で綴ってみたいと思う。
原稿・撮影 藤田雄宏
ナポリのルンゴマーレ。マリネッラが店を構えるピアッツァ・ヴィットーリアの前には美しいナポリ湾が広がり、ソレント半島、カプリ島を見渡せる。写真の奥にそびえているのがヴェズーヴィオ山。
“ルンゴマーレ”と呼ばれる「海沿いのナポリ」から、ナポリで最も美しいピアッツァのひとつとされているピアッツァ・デッラ・ヴィットーリア(ヴィットーリア広場)を通ってカラブリット通りを2分ほど歩くと、これまたナポリ屈指の美しさを誇るピアッツァ・デイ・マルティリ(マルティリ広場)に出る。マルティリ広場はチェントロの象徴であるキアイア通りの起点となっているため、ナポリを訪れたことのある人は、海沿いからチェントロへと歩く道すがら、たとえその名を知らなくともほぼ例外なくヴィットーリア広場を横切っているはずである。
カラブリット通りから眺めたピアッツァ・ヴィットーリア。マリネッラの店はこのピアッツァを右に曲がった数十メートル先にある。広場の奥には美しいナポリ湾が広がる。
1914年に創業したネクタイの老舗「マリネッラ」の店は、そのピアッツァ・デッラ・ヴィットーリアの一角、リヴィエラ・ディ・キアイア通り287番地にある。
ナポリに滞在しているあいだ、結構な頻度でヴィットーリア広場を通るのだが、その度に強い誘引力で引き寄せられるかのように、ついついマリネッラへと足を運んでしまう。同店を訪れて昔馴染みのお茶目なベテランスタッフたちと交わすたわいもない会話は、ほんの数秒のときもあれば10分、15分続くこともあって、彼らの笑顔は僕には大変心地よいものである。多くの馴染み客たちがマリネッラの店に通うのも、スタッフたちとのちょっとしたコミュニケーションを楽しむためというのが多分にあるんじゃないかな。決して決まりごとにしているわけではないものの、ナポリに着くと、だから、まず僕はマリネッラの店に向かうのだ。心を躍らせながら。/a>
3年半ぶりにイタリアの、そしてナポリの地を踏んだ。
2023年6月上旬、僕は3年半ぶりにナポリの地に戻ってきた。ローマテルミニから高速列車“フレッチャロッサ”に乗って1時間10分、ナポリ中央駅に着いてまず向かったのは、駅前のガリバルディ広場の一角にある、愛してやまないバール メッシコ(Bar Mexico)だ。ガリバルディ広場は2016年に再開発が完了してだいぶきれいになったものの、列をなして客待ちをしているタクシーのクラクションのハーモニー、さまざまな人種が無秩序に混在するなかで生み出されるカオティックで異教的な雰囲気は、今も変わらず健在だ。バール メッシコの濃厚なカッフェでナポリのアロマをたっぷり体内に取り入れた僕は、タクシーに乗り込んでマリネッラからほど近いマルティリ広場の宿に向かった。マラドーナ在籍時以来、33年ぶり3度目のスクデットを獲ったナポリは、街中がSSC Napoliの旗でデコレーションされていて、それらがはためいている姿は格別だった。タクシーのエアコンはお約束のようにまったく効かない。渋滞の中を我先に進もうとするドライバーのせっかちな運転もまた、懐かしさのあまり心地よく感じるほどだった。閉じきっていた僕のナポリ脳が、みるみる覚醒していくのが自分でもわかった。カオティックなナポリのすべてが、今回ばかりは愛おしく感じられる。
ナポリ中央駅のガリバルディ広場。ズラリと並んだタクシーのクラクションを聞くと、ナポリに来たことを実感する。
33年ぶりのスクデットを獲ったナポリの街は、どこを歩いてもこんな感じ!
21時、ナポリの友人を誘ってスペイン地区の良心的な食堂 “Osteria il Gobbetto” に向かった。ここはパンツ職人のMarco Cerratoに連れてきてもらって以来、何度か通っているのだが、真っ当な家庭料理をとても良心的な価格でワイワイガヤガヤ楽しく食べられるとあって、ナポリでのお気に入り食堂のひとつとなっている。
ガラス越しにいるのが、Osteria il Gobbettoのオーナー、ジェンナーロさん。どこかの食堂の店主に似てると思った方は、相当なナポリ通だ。ナポリきっての庶民派人気食堂 Trattoria da Nennellaのオーナー、チーロさんと兄弟なのだ。恐るべし、ヴィティエッロ兄弟!
前菜“Antipasto della Casa”は10皿でひとり€10。10皿は「海の幸」か「大地の恵み」か、好みのほうを選べる。ハウスワインはボトルで6ユーロ(ナポリだと白はファランギーナ、赤はアリアーニコが基本)だけれど、3年半ぶりのナポリということで、奮発して€20のイスキア島の白ワイン“Antonio Mazzella”のビアンコレッラを空けた。
プリモのパスタは “Scialatielli ai frutti di mare” 海の幸のシャラティエッリで €9。Osteria il Gobbettoは街のど真ん中にありながら、とっても良心的な価格!
久しぶりに満喫した“ナポリ飯”は財布にも優しく、オーナーのジェンナーロさんも典型的な陽気なナポリ人で、僕は大満足。すっかり満腹で、食べたかったセコンドもドルチェもパスしてしまったが(泣)、先は長いので無理しないでおこうってことで!
明朝はいよいよ、久しぶりのナポリ取材だ。そう、9時30分からマリネッラの3代目マウリッツィオ・マリネッラ氏と4代目を担うアレッサンドロ・マリネッラ氏の親子に取材を申し込んでいるのだ。
どんな話を聞こうか頭の中を改めて整理しようと思いつつ、長旅の疲れもあったのか、宿に戻ってベッドに横になるや瞬時に眠りについてしまったzzz
ナポリのマリネッラの店は月曜から土曜まで、毎朝6時30分から営業している。
店から徒歩圏内にある港モーロ・ベヴェレッロにパレルモからの巨大客船第1便が到着するのは朝の6時30分。馴染みの散歩客だけでなく、ナポリに着いた乗船客も早朝のマリネッラをよく訪れるし、大事な会議を控えた地元のビジネスマンが出勤途中に気合いを入れるべく購入していったり、同じ意味合いで裁判に出廷する前にゲン担ぎで新しいネクタイを買い求めていく客もいる。ナポリを訪れた観光客が帰りにホテルから空港に向かう前に寄っていくことはしょっちゅう。そんなわけで、マリネッラの店内は、早朝であっても意外と賑わいを見せている。
朝5時に目覚めた僕は、マウリッツィオ・マリネッラ氏のことを誰よりもよく知る“縁の下の力持ち”のことをふと思い出してしまったのだ。“彼”に会って話を聞くためには、朝5時30分に店に行くのがベストであり、いや、それをせずにナポリのマリネッラの店を紹介するのは、僕にとっては何かが違うのように思えたからだ。
その“彼”とは、トミーさんことTomas Dolor(トーマス・ドロー)氏。フィリピンのバタンガスの出身で、マウリッツィオ・マリネッラ氏と同じ67歳。マリネッラで30年間も働いている、ナポリの店でも最古参のひとりだ。ナポリのマリネッラに通っている客なら誰もが存在を知っている、とても勤勉で、客からもスタッフの皆からもとても慕われている人物である。
トミーさんはマウリッツィオ・マリネッラ氏よりも早い毎朝5時30分には必ず出勤しているという話は、もうずっと昔から聞いていた。トミーさんの仕事から始まるマリネッラの1日のスタートを自分の目で見てみたかったのと、ふたりきりの時間にトミーさんとゆっくり話をしたかったからだ。
午前5時30分、トミーさんは店の前にクルマを停め、車内で待機していた。
「チャオ、トミーさん!」
トミーさんに声をかけると僕の姿に驚きの表情を浮かべたのも束の間、すぐに笑顔で「チャーオ!」と返してきくれた。
朝5時30分、僕はマリネッラの店の前にいた。
朝5時30分のトミーさん。彼が30年もの長きにわたってマリネッラで働き続けているのも、マウリッツィオ・マリネッラ氏の人柄が素晴らしいからというのは容易に想像できる。マリネッラの店の前一帯はちょうど工事中だった。
久しぶりだったので軽く世間話をしたあと、僕はトミーさんに質問を投げかけてみた。
「マウリッツィオさんは今も毎朝6時に出勤しているんですか?」
「マリネッラでは30年間働いていますが、マウリッィオさんはスタッフの誰よりも早く、毎朝6時に出勤します。私がここに入ったときから既にそうでした。出張から夜遅くにナポリに戻ってきた翌朝も、会食が深夜に及んだ翌朝も、ナポリにいるときは必ず朝6時に出勤し、閉店時間の20時までいつも店に立っています。仕事に誇りと情熱をもって誰よりもよく働き、皆から慕われている。マリネッラの店はマウリッツィオさんにとって人生そのもの。彼にとって、ここで仕事することが何よりの生き甲斐なんだと思います」
5時45分になると、トミーさんはお店のシャッターを上げ、店の前の歩道に水をかけて掃除を始めた。
ちょうど6時を回った頃、マウリッツィオ・マリネッラ氏が店にやってきた。やはり僕の姿を見て、いくぶん驚いているようだ(笑)。
「インタビューの約束は9時30分ですが、マウリッツィオさんの朝イチの姿が見たくて、ついこの時間に来てしまいました。以前、朝の7時過ぎに何度か散歩がてら通ったことがあるのですが、マウリッツィオさんはいつも必ずお店にいたのを覚えています」
すると、マウリッツィオ・マリネッラ氏はこう語り始めた。
「私は毎朝5時15分に起きて、6時~6時10分のあいだに出勤しています。新聞に目を通しながら、コルネット(クロワッサン)とカプチーノで朝食をとります。このひとときが自分にとって最もリラックスできる時間であり、同時に1日をスタートする心の準備タイムになります。朝の6時30分に店を開けるのは、1914 年に祖父がこの場所に店を開けてからの伝統で、今もそれを守って続けているのです。昔は店の前のヴィッラ・コムナーレ(マリネッラの店の前、ヴィットーリア広場を起点に1km以上にわたって続く庭園)に貴族が毎朝散歩に訪れていました。当時は店とバールが繋がっていて、そのバールが散歩のあとに皆が集まる社交の場となっていました。何せ昔は朝早くから開いている店は薬局とバールだけでしたからね。何人かのお客様からマリネッラの店も朝早くから開けてほしいと言われ、私たちも朝早くから店を開けることとなったようです。それが今日まで100年以上続いているのです」
そういえば、同じナポリの象徴であるマリオ・タラリコやルビナッチも、今では創業地から場所を移して営業している。マリネッラがナポリ湾を望めるヴィットーリア広場に店をオープンしたのは1914年6月26日で、マリネッラの店だけが109年経った今も変わらず創業の地で営業し続けているのだ。店内の広さも昔から変わらず僅か20㎡。
マウリッツィオ・マリネッラ氏。余談だが、彼が所有しているネクタイは、すべて傷モノなど店で販売することができないもの。サステナビリティが謳われるずっと以前から、氏はそれを当たり前のように実践してきた。
朝6時10分。店内は静寂のひとときだ。鏡を向いてネクタイを締めたあと、新聞に目を通すのがマウリッツィオ・マリネッラ氏の日課だ。トミーさんは棚からストックを出したりと、常に目を行き届かせて動いている。このあとコルネット(クロワッサン)とカプチーノで朝食をとる。
店で販売するネクタイは半分に畳まれ、すべてビニールのカバーがついて並んでいる。これもマリネッラの変わらないスタイル。
ファサードには創業当時につけた“Shirtmaker”と“Outfitter(紳士服店)”の名が刻印されたプレートが今も残っている。1914年当時のナポリでは英国スタイルが流行っており、マリネッラはナポリで唯一、ロンドンから仕入れた高級品を幅広く揃えていた紳士服店だったのだ。ちなみに創業者のエウジェニオ・マリネッラはパリからシャツ職人を招き、自社の職人に裁断技術を習得させた。
ロ・マリネッラ氏も参加してくれることになっている。はやる気持ちを抑えて、話を聞くのはここまでにした。
さて、オープン時間の6時30分より前に最初の客が店に入ってきた。「まだオープン前ですよ」と断ることもなく、「どうぞ!」と店内に案内し、接客している。うんうん、これがマリネッラなんだよな。そして、本当にこんな朝早くから客がくることに僕は改めて驚かされた。
客が2~3人来るとすぐにカオスになってしまう狭い店内だけに、果たして9時30分からのインタビューは成り立つのかな?なんてことを考えながら「また後ほど!」と挨拶し、僕はいったん宿に戻ったのだった。
第2回は2023年10月13日に掲載します。
“就業時間後”、“ジャズにおけるライブ後の自由セッション”を意味するアフターアワーズ。
ここでは、雑誌編集に20年以上携わっているファッションエディターが自由時間に集まって、ファッションを軸とした記事を自由セッションのごとく発信していきます。
ショップのコーナーには、国内外の友人たちと共業したここでしか手に入らないアイテム、世界から買い付けたストーリー性豊かなこだわりのアイテムが並びます。
ひとつのスタイル、テーマに固執することなく、編集者目線でいいと思った“真の上質”を、自分たちの視点を大切にしながら流行を気にせずに発信していきます。
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