マリネッラ創業110年
ーーイタリアの文化と社会とともにーー
第二回「1910~19年:マリネッラ創業黎明期」
TYPE : En
DATE : Nov 30, 2022
2024年6月に創業110年を迎えるマリネッラ。
メンズファッションエディター矢部克已氏による年代別のコラムを、記念すべき周年に向けてお届けいたします。
年代別のコラムは、イタリアの文化・風俗・ファッション・映画・芸術などの歴史を通し、トピック的な政治経済史を挿みながら、この110年の「マリネッラ」の存在を位置づけるものです。「マリネッラ」の代表的な商品となる、ネクタイの伝統的な魅力や、巧みなものづくりを掘り下げるために準備した、イタリアとナポリの歴史哲学的な視座を踏まえています。
"形而上絵画"を提唱した画家、ジョルジョ・デ・キリコがミラノからフィレンツェに移住したころ。文学と芸術、音楽の強い影響から、フィレンツェが新しい文化思想的な牽引地となり、幾多の雑誌も創刊された。
北イタリアのトリノで1910年、コンフィンドゥストリア(イタリア産業総連盟)の前身、イタリア工業連盟が設立。文化と芸術、工業が絡み合う20世紀初頭イタリアの骨格が築かれる。
1914年、ティレニア海に面したナポリの中心地、ヴィットリア広場の前に「マリネッラ」がオープンした。以前カフェだった約20平米の空間に服飾品が並ぶ。創業者のエウジェニオ・マリネッラは、紳士服業界で15年ほどの経験を積み、このとき34歳。フランス・パリからシャツづくりの指導者を呼び寄せ、職人たちが技術を習得し、手づくりのシャツとタイを販売した。当時の商品構成は、シャツが大半を占めていた。「マリネッラ」の誕生により、ナポリの紳士に“本格的な服飾”の扉を開き、イギリスの名品も伝えはじめたのだ。
同年フィレンツェで生まれたのが、後にデザイナーとなるエミリオ・プッチである。アルフィエーリ・マセラッティが兄弟(エットーレ、エルネスト)とともに、ボローニャで自動車工房「マセラティ」社を開業したのも、1914年。そのころすでにキナ臭いヨーロッパの情勢。
イタリアは1915年に第一次世界大戦に参戦した。
1916年、ナタリア・ギンズブルグが生まれる。小説家、脚本家として活躍。日本の随筆家、須賀敦子はナタリアに私淑した。ナタリアの子息、カルロ・ギンズブルグは著名な歴史家となった。
1917年、エットーレ・ソットサス生誕。近代建築やデザインで世界的に評価されるデザイナーとなり、“メンフィス・グループ”も結成した。同年、ボッコーニ社から売却されたグランデ・マガッジーノ(デパートメントストア)が、新オーナーによってミラノにオープンする。再生・復興を意味する店名の「ラ・リナシェンテ」は、詩人のガブリエーレ・ダヌンツィオが命名。
1918年、美術評論家のマリオ・ブローリオは、形而上絵画をはじめ、前衛芸術の発展を目論む雑誌『ヴァローリ・プラスティチ』を創刊。静物画を探求し続けたジョルジョ・モランディらに強烈な影響を与える。
1919年、サン=ジェルマン条約が締結され、 “未回収のイタリア”のひとつだった最北東部の都市、トリエステがイタリア王国に併合。同地で生まれた詩人のウンベルト・サバや作家のイタロ・ズヴェーヴォらの作品で、文学活動でも注目される場所となった。
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矢部克已/Katsumi Yabe
1964年東京生まれ。ファッションエディター、ファッションジャーナリスト。 流行通信社(『流行通信HOMME』編集部)、婦人画報社(『メンズクラブ』編集部)を経て、イタリアに渡る。フィレンツェ、ナポリ、ヴェネツィア、ミラノの4都市に移り住む。帰国後、ウェブマガジン『DUCA』『Espresso per te』(ソフトバンククリエイティブ)編集長歴任。星美学園短期大学で非常勤講師。雑誌『メンズプレシャス』のエグゼクティブ・ファッションエディターを務めた。ウェブサイト、トークショーでも活躍。イタリアのクラシックなファッションを中心に、メンズファッション全般にわたる歴史やスタイル、トレンドに精通し、SNSを積極的に発信する。
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マリネッラ ナポリ 東京ミッドタウン
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マリネッラ ナポリ 丸の内
東京都千代田区丸の内2-6-1 丸の内ブリックスクエア1F
営業時間:11:00~20:00
TEL : 03-3217-2871
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