マリネッラ創業110年
ーーイタリアの文化と社会とともにーー
【特別編】1980~2010年代までのコラムを振り返る
Apr 25, 2024
2024年6月に創業110年を迎えるマリネッラ。
メンズファッションエディター矢部克已氏による年代別のコラムを、記念すべき周年に向けてお届けいたします。
年代別のコラムは、イタリアの文化・風俗・ファッション・映画・芸術などの歴史を通し、トピック的な政治経済史を挿みながら、この110年の「マリネッラ」の存在を位置づけるものです。「マリネッラ」の代表的な商品となる、ネクタイの伝統的な魅力や、巧みなものづくりを掘り下げるために準備した、イタリアとナポリの歴史哲学的な視座を踏まえています。
今回は、筆者が自ら1980年~2010年代までのコラムを短く解説します。
1980~2019年までの40年間のまとめ。結論を先取りすれば、「マリネッラ」のブランドステイタスが不動の地位に上り詰めた、40年の歩みだ。成長期→沸騰期→拡大期、と進展するなかで、いくつものドラマが絡む。イタリアファッションの世界的な流行は、モードの領域だけに留まらず、クラシックなスタイルにも波及効果をもたらしたのだ。当時の日本の状況は、バブル経済の勃興と崩壊を経て、“リーマン・ショック”によるワールドワイドな金融危機をもろに受けた。イタリアの政治や経済は、そんなグローバリゼーションの“闇”に翻弄されながらも、底堅く、しのいできたようだ。
筆者はもとより、メンズ・ファッションに携わる現役世代や、ファッションの愛好者にとって、最もリアルにイタリアの躍動を感じられるのが、この時代ではないか。
【1980年代の高揚】
80年代に入るやいなや、ボローニャ駅で大規模な爆発テロが起きた。すでに収束したかにみえた国内テロだったが、まだ根絶にはいたらなかった。それでも、“イタリア経済第二の奇跡” と呼ばれる経済成長が、エミリア・ロマーニャ、トスカーナ、マルケ、ヴェネト州のいわゆる“第三のイタリア”地域からもたらされた。付加価値の高いクルマや職人的な技巧を凝らした服飾、革製品、家具、食器などをつくり、輸出を牽引。“豊かなイタリアのライフスタイル”に直結した商品を世界に発信した。
そんななか、ミラノからモードが抜きんでた。ジョルジオ・アルマーニ、ジャンニ・ヴェルサーチェ、ジャンフランコ・フェレの3Gの活躍である。
1981年、インテリアデザインの領域では、エットーレ・ソットサスが率いる“メンフィス”が結成され、その後、「アレッシィ」社は工房「オフィチーナ・アレッシィ」をつくり、いわば“潤いのある日常生活”を提案した。
3Gをはじめとするデザイナーズブランドとは対照的なクラシコイタリア協会が、1986年に設立。当初は、デザイナーズブランドの勢いに隠れていたが、’95年前後に、俄然、クラシコイタリアは注目を集め出した。
一方、ミラノでは、学生たちのストリートファッション“パニナーリ”が社会現象にもなった。ひとことでいえば、上質なイタリアとアメリカブランドとのミックスコーディネートだったが、2020年代に再び、当時のブランドが脚光を浴びる。
「マリネッラ」が勢いよく成長した時代。
政財界の要人たちが、ことごとく「マリネッラ」のネクタイを締める。7期にわたり首相を務めたジュリオ・アンドレオッティ、ベッティーノ・クラクシ元首相は突出した顧客だった。イタリア産業総連盟会長(日本でたとえれば経団連会長)を務めたルカ・ディ・モンテゼーモロをはじめ、「トッズ」のディエゴ・デッラ・ヴァッレ会長、大手パスタメーカー代表のピエトロ・バリッラなど、錚々たる人物が「マリネッラ」の信奉者となった。
【1990年代の改革】
法学者や経済の専門家を主体としたテクノクラート政権に移行し、抜本的な政治経済の改革期。公共企業体の民営化が旗印となった。
建設業で成果を収め、テレビ局や広告会社を興したメディア王のシルヴィオ・ベルルスコーニ政権が誕生し、新自由主義経済を加速させた。
ファッションの分野はまさに上昇気流に乗っていた。「アルマーニ」「ヴェルサーチェ」ほか、「プラダ」「グッチ」が、各国主要都市に旗艦店をオープン、またリニューアルを重ね、イタリアのブランドが世界的なファッションの覇権を牛耳る。
1990年、ナポリはお祭り騒ぎ。
SSCナポリが、2度目のセリエAを制覇。そして、ワールドカップ・イタリア大会が開催された。
ナポリサミット(G7)で、「マリネッラ」のネクタイが各国首脳への贈答品に選ばれた。ナポリの景勝地ヴェズ―ヴィオ火山が小さくデザインされたネクタイだった。サミット期間中、ビル・クリントン米国大統領がジョギングの合間に「マリネッラ」のショップに立ち寄ったというこぼれ話も。
圧倒的な顧客のひとり、ベルルスコーニ首相は、贈り物用でひと月に300~400本ものネクタイやスカーフを注文していた。
【2000年代の拡大】
公共企業体の民営化が、やっと進みだす。イタリア国鉄の旅客部門分離は、そのほかの企業の民営化をよりスムースに促した。前年代に崩れ去った、ベルルスコーニが再び政権に返り咲くと、およそ10年にわたり“ベルルスコーニ時代”を迎える。はた目には脆弱にみえながらも、盤石な体制となった。
1950年代から、イタリア映画は、世界に作品を配給する重要な文化産業だが、ナンニ・モレッティ監督の『息子の部屋』が、久しぶりにカンヌ国際映画祭で、パルム・ドールを受賞し、注目を集める。
2006年は、トリノ冬季オリンピック開催。FIFAワールドカップ・ドイツ大会でイタリアが優勝に恵まれた。
ファッション&ビジネスでは、新しいセレブリティが登場した。ジャンニ・アニエッリの孫にあたる、ラポ・エルカンが実質的なメジャー・デビューを果たす。イタリア随一の伊達男、ジャンニから受け継いだ「カラチェニ」のスーツを、若い感覚のラポが着る。いま振り返ると、新しい世代がクラシックなサルトリアの服を、再認識するきっかけになった。
「マリネッラ」は、拡大期に入った。
2002年に、はじめての支店をミラノにオープンした後、ナポリ本店の裏に広々としたショールームのようなショップを増設。海外初のショップを東京に開き、続いて、スイスのルガーノに。その間、1870年に創業した靴の名店「スティヴァレリア サヴォイア」を買収。
イタリア政財界の要人や有名サッカー選手がモデルとなり、「マリネッラ」のネクタイを締めた彼らの姿を写しとった写真集『Cinque nodi d’amore』が発刊され、売り上げのすべてをチャリティにあてた。
【2010年代の熱烈】
イタリアの真骨頂といえる、ファッションやクルマ、デザイン関連の付加価値の高い製品は、国際競争力を維持し、輸出産業は堅調に推移した。サステナブルやオーガニックといったキーワードが、イタリアで高らかに響き出したのも、2010年代の際立った動きである。
コングロマリット化したファッションブランドは、一見してブランドが誇示できる、ロゴマークの目立つデザインに傾斜。それが新世代への訴求となる、とみた。
2015年に開催したエキスポ・ミラノは、“食”がテーマになったことで、食の安全に関する意識も高まった。自然農法による野菜の栽培。排出されるCO2を減らしながら牛の飼育を考える、環境に配慮した取り組みは、今日、いっそう盛んになっている。
マウリッツィオ・マリネッラは、ヴィデオ・インタビューで“あまりにも熱烈な時代”と2010年代を称した。
創業100周年の2014年は、最も重要な年となり、自身はそれ以前にカヴァリエーレ・デル・ラヴォ―ロという勲章を授かった。
ロンドンでの出店を果たし、すぐさま2店舗目もオープンした。国内ではミラノに2店舗目、さらにローマにも開くなど、まさに出店ラッシュ。
映画『007 スカイフォール』でネクタイを協賛し、ニューヨーク近代美術館(MoMA)から、名品として「マリネッラ」のネクタイが選出される。
イギリスからカミラ皇太子妃(現王妃)が「マリネッラ」のショップと工房に訪れた。チャールズ皇太子(現国王)の誕生年にちなんだ、アーカイブの生地を用いたネクタイを注文。今後、語り継がれるエピソードとなるだろう。
もう、ナポリのものだけではない。世界が認めたネクタイこそが「マリネッラ」。あえていうならば、“博物館級のネクタイ”に位置づけられた。
1980~2010年代は、イタリアが最も躍動的な時代を謳歌した40年間だった。必ずしも国内政治が安定していたわけではなく、なおかつ、国内経済は順風とはいいがたいが、ファッション界における富裕層のゴージャスな振る舞いに引っ張られ、イタリア全体がなんとも豊かに映った。特に、1980~1990年代は、飛び抜けて輝いた。
ファッション産業は、大きく成長し、それゆえ、イタリアの巧みなものづくりの伝統が、幸いにも生き続けた。「マリネッラ」の精神は、いまも徹底したものづくりに支えられえている。
Photos by Mimmo and Francesco Jodice for E.Marinella - “Napoli e Napoli” book
1964年東京生まれ。ファッションエディター、ファッションジャーナリスト。
流行通信社(『流行通信HOMME』編集部)、婦人画報社(『メンズクラブ』編集部)を経て、イタリアに渡る。フィレンツェ、ナポリ、ヴェネツィア、ミラノの4都市に移り住む。帰国後、ウェブマガジン『DUCA』『Espresso per te』(ソフトバンククリエイティブ)編集長歴任。星美学園短期大学で非常勤講師。雑誌『メンズプレシャス』のエグゼクティブ・ファッションエディターを務めた。ウェブサイト、トークショーでも活躍。イタリアのクラシックなファッションを中心に、メンズファッション全般にわたる歴史やスタイル、トレンドに精通し、SNSを積極的に発信する。
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